史跡ガイド

以下の論文は、上田史談会幹事長 大嶋要三先生が第22回「会津と越後を語る会」南魚沼市大会において発表されたものです。

 

上杉家記録 古代士籍  
上田(長尾)政景公 御用人  
御甲代 栗林次郎左衛門
士 頭 国分 喜兵衛
御家老 深沢 和泉
 〃 伊与守事 樋口 惣右衛門
 〃 浅間修理
 〃 上村美濃
御厨様御守 為景公より御付人 齋木土佐
 〃 福島掃部
景勝公御守 山岸中務

 

 

 公式記録であるが、誰も目にとめず400余年の間見過ごされてきた記録である。
 長尾政景の城主時代、天文15年頃から永禄7年に至る18年間の内の一時点での記録であり、いずれも実在人物として確認される。とくに、齋木、福島の御厨様(政景室仙桃院)付人の添書に注目してみたい。さらに記録の裏打ちとして越後以来穴沢先祖留書がある。

 


樋口惣右衛門.jpg

               上記は米沢市 上杉博物館所蔵の古文書

               赤枠の部分に父・樋口惣右衛門の名が読み取れる

 

(略文)
御和談のしるしに政景公は為景様の婿君になられる。御輿入のとき穴沢新右衛門は国分、樋口の上田衆と府中まで御迎に参上す、為景様の申付によって福島、齋木両人はご前様(仙桃院)付人として坂戸城にて奉公す。

 

 

 古代士籍は公式記録、一方、先祖留書は穴沢氏によるもの。記述の目的、年代が異なる両通だが内容が符合し、家老 樋口惣右衛門の実在は認むべきものとなる。

 

 樋口惣右衛門はなぜ台所廻り柴薪の役に仕立てあげられたのか。
 元禄15年に刊行された藩翰譜(はんかんふ)がある。慶長5年~延宝8年の凡そ80年間の大名の沿革を記したもの。編者は新井白石。


 この書に「樋口惣右衛門 柴薪つかさどりし者」と記され、これが通説となって今日に至っている。

 

 戦国を堂々と生きた兼続は元和5年60歳で没した。
 転換の時代を生き抜いた景勝も元和9年六69歳で没した。

 賢夫人として知られた兼続未亡人お船は寛永14年81歳で没した。激しい戦国を真正面から取り組み、上杉家の繁栄に最も尽した超一流の人物がこの世を去った。


 お船の死から数年後、直江家の菩提寺徳昌寺が破却されるという大事件が起きた。因は、林泉寺との間の禄所(土地)争いと云われる。

 上杉家当主定勝(景勝の嫡子)は幼くして母を失い、直江夫人によって養育されたと伝えられている。直江夫人に心からの親愛の情を表していた定勝が、自らの命で葬った寺を自らの手で破却し直江夫妻の墓を林泉寺に移したのである。


 当時幕府の政治路線の強化政策がある。その中で幕府の威信と名誉を著しく傷つけた「直江状」の存在と兼続の処分再検討が幕閣によって再議された。

 徳昌寺破却は、こうした政治的背景のなかで起きた事件であり、単なる禄所争いという単純な口実で利用されたにすぎない。(直江兼続とその時代)


 関ヶ原前夜において会津一国をもって堂々と家康に対した上杉家も、いま幕府という巨大な枷のなかで後遺症ともいうべき数々の問題を処していかねばならなかった。惣右衛門が軽輩の士として届けられた(藩翰譜)のは、兼続への批判の一端を負うかたちの表れといわなければならない。

上杉古文書より、その事実を解き明かします。

 

詳しくはこちらからどうぞ

―古い由緒を持つ「裸押合祭り」が行われるお堂

 浦佐毘沙門堂(うらさびしゃもんどう)周辺

 真言宗の寺院・普光寺にあります。

 

 大同2年(807)蝦夷討伐のためこの地を訪れた坂上田村麻呂が、国家安泰を祈願して毘沙門堂を建てたと伝承されています。700年前の建立と伝えられ、国の特別保護建造物に指定されていた毘沙門堂は、昭和6年(1931)に火災で焼失し、その後再建されました。

 

 毎年3月3日に、毘沙門堂内で行われる「裸押合祭り」は、日本三大奇祭の一つとして知られています。江戸時代の記録にも残るこのお祭りは、身を清め、大蝋燭を抱えた若者が、「サンヨ サンヨ」と掛け声をかけながら、お堂内で押し合います。

 

 春を呼ぶ、雪国の熱気にあふれたお祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 

所在地 新潟県南魚沼市浦佐2495
アクセス 関越自動車道「小出」ICより車10分・「大和PAスマート」IC(ETCのみ)より車5分
JR上越線・上越新幹線「浦佐」駅より徒歩5分

普光寺 025-777-2001

一口メモ

駐車場有

 

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―上田長尾氏の豊かな経済力を支えた川

 魚野川(うおのがわ)周辺

 信濃川の支流、谷川岳西麓を水源とし魚沼地方を南北に流れ、川口町で信濃川と合流します。上流でも比較的川幅が広く水量が豊富です。稲作や酒造にとって重要な水源となっています。

 

 古くは上田庄と呼ばれていた南魚沼地方は、関東と越後を結ぶ交通の要衝にあたり、物資の流通が盛んでした。その物資の運搬に重要な役割を果たしていたのが、舟運です。

 

 上田長尾氏は、上田銀山からの大量の銀や青苧(あおそ=麻)の販売利権によって、本家の府中長尾氏に劣らぬ財力を誇っていました。青苧とは当時の越後の特産品麻糸の原料で、木綿が普及するまでは、非常に珍重されていました。魚沼地方などの山間部で採取され、主に魚野川から信濃川の舟運によって柏崎や直江津へと運ばれていました。そこから海路で敦賀や小浜へ、陸揚げされ京や摂津で商いされていました。

 

 魚野川は上質な水質で鮎やヤマメなどの川魚も多く生息しており、景観が美しく、釣りや川遊び、「やなば」で人気の高い川です。 

 

―上杉景勝と直江兼続主従の深い絆は、ここから始まった

 坂戸城周辺

 坂戸城跡は南魚沼市坂戸にあります。戦国時代は上田長尾家の居城でした。のちに直江山城守兼続となる樋口与六は、永禄3年(1560)、魚沼郡の政治経済の中心であった坂戸城下で生まれました。当時の城主は長尾政景で、謙信の姉、仙桃院と政景とのあいだに生まれたのが景勝でした。景勝と兼続は深い信頼関係を築き、ともに激動の時代を生きていくことになります。

 

 坂戸城は新潟県でも屈指の、坂戸山を中心に山麓一帯を含む中世の山城です。山頂には実城、山麓には平時の住居跡、他には曲輪、石垣、土塁、堀切などの遺構が残っており、国の指定史跡となっています。

 

所在地 新潟県南魚沼市坂戸
アクセス 関越自動車道「六日町」ICより車10分
JR上越線「六日町」駅より登山口まで徒歩30分
南魚沼市観光協会 025-772-7171
一口メモ 駐車場 60台(銭淵公園)

  

sakado-jou_01.jpg                           坂戸城跡全景

 

     

sakado-jou_02.jpg                           坂戸城跡碑

 

 

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                    坂戸城絵図(鈴木牧之記念館蔵)

 

―上杉景勝は長尾政景と仙桃院の嫡子としてここに誕生

 樺沢城主館跡周辺

 南魚沼市樺野沢にあります。上杉景勝は弘治元年(1555)樺沢城で生まれたと言われています。

 

 当時南魚沼のほとんどは、上田庄と呼ばれていました。南魚沼市樺野沢に南北朝時代から戦国時代にかけて城と城下町があり、「御館の乱」の際には景虎の救援に駆けつけた小田原北条氏の攻撃を受け、樺沢城は攻略されました。

 

 城は緩やかな山に設けられた中世の山城です。城主館跡は、一段高台に築かれていて、景勝の母であった仙桃院のお花畑もありました。周辺には元屋敷、中屋敷、下屋敷があり、少し下ると上田衆屋敷跡、そして古町、桜町と城下町が続いています。

 

所在地 新潟県南魚沼市樺野沢
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車10分
JR上越新幹線「越後湯沢」駅より車20分
JR上越線「上越国際スキー場前」駅より徒歩3分
南魚沼市教育委員会 025-777-4671
一口メモ 駐車場20台

 

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―謙信軍中、最強と謳われた上田長尾氏家臣団の屋敷跡

 

 南魚沼市樺野沢にあります。

 上田衆屋敷跡周辺

 上田長尾氏は、南北朝時代から上杉憲顕の家臣として南魚沼上田庄の支配を委ねられ、それまでこの地方の土豪であった栗林氏、樋口氏など多くを支配下に収めていきました。

 

 この土豪衆は、戦国時代には上田衆と呼ばれるようになり、上田長尾氏の家臣団としてまとまっていきます。川中島の合戦の際にも、謙信の率いた上杉軍中最強と恐れられ、必ず先陣を任されました。

 

 樺沢城主館跡より少し下ると、小泉屋敷、黒金屋敷、綿貫屋敷、宮島屋敷などの上田衆の屋敷跡があります。周辺には古町、桜町などの城下町、上田橋、上田山大儀寺跡などが残り、当時の上田庄の中心であったことが偲ばれます。

 

上田五十騎について

上田長尾氏の家臣団は上田衆と呼ばれ、上杉謙信軍中最強と恐れられていたと言われています。先陣を任されたという上田衆の打ち鳴らす陣太鼓はやがて御実城太鼓と呼ばれるようになりました。
景勝公が、謙信の養子として春日山城に入る際、坂戸城のその家臣の中から50人の精鋭が選ばれ「上田五十騎」を編成しました。


 

所在地 新潟県南魚沼市樺野沢
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車10分
JR上越新幹線「越後湯沢」駅より車20分
JR上越線「上越国際スキー場前」駅より徒歩3分
南魚沼市教育委員会 025-777-4671
一口メモ 駐車場特になし

 

―仙桃院が我が子景勝の武運長久を祈願した寺

 龍澤寺(りゅうたくじ)周辺

 樺沢城跡近くにある龍沢寺は、臨済宗円覚寺派の寺院です。

 

 室町時代前期の応永27年(1420)に開創されました。

 

 本尊となっている文殊菩薩は、景勝の母仙桃院ゆかりの品です。仙桃院は文殊菩薩に深く帰依していました。弘治元年(卯歳)生まれの景勝の武運長久を願い、永禄10年(1568)に、卯歳生まれの守護仏である厨子入りの文殊菩薩を奉納し、祈祷仏供米料として五十石を寄進しました。現在の堂宇は江戸時代中期の天文2年(1737)に再建されたものです。

 

所在地 新潟県南魚沼市樺野沢
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車10分
JR上越新幹線「越後湯沢前」駅より車20分
JR上越線「上越国際スキー場」駅より徒歩3分
龍沢寺 025-782-1464
一口メモ 特別拝観料 大人(高校生以上) 200円
中学生以下 無料

 

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                     龍澤寺山門より境内を望む

 

 

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                        上杉景勝生誕の碑

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                            龍澤寺本堂

  

―国境の要衝に聳える上田長尾氏の巨大中世山城

坂戸城本丸周辺

 

 坂戸城の実城は坂戸山の山頂にあります。坂戸城は坂戸山一帯を含み新潟県屈指の巨大中世山城であり、標高は634メートル、比高473メートル。頂上からは魚野川流域一帯から上越国境の山々までが一望できます。三国峠からも近く、国境を守る砦としての重要な場所であったことがわかります。

 

 当時の櫓台の上に現在は富士権現社が建っており、付近には石垣跡が残っています。

 

所在地 新潟県南魚沼市坂戸 坂戸山山頂
アクセス 関越自動車道「六日町」ICより車10分
JR上越線「六日町」駅より登山口まで徒歩30分
南魚沼市観光協会 025-772-7171

 

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―上杉景勝のへその緒を収めたと伝えられている

胞衣塚(えなづか)周辺

 

 南魚沼市樺野沢、樺沢城跡の中腹にあります。

 

 上杉景勝は弘治元年(1555)樺沢城で生まれたと言われています。

 

 胞衣塚は景勝公の胞衣(へその緒)を収めたと伝えられ、当時から安産の宮として信仰をあつめているそうです。城は中世の山城ですが、山は緩やかで起伏に富み、防御のため幾重にも築かれた帯曲輪、空堀土塁などが残っており、ハイキングに最適です。

 

 胞衣塚は山の中腹あたり、二の丸の奥に位置しています。

 

所在地 新潟県南魚沼市樺野沢
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車10分
JR上越新幹線「越後湯沢」駅より車20分
JR上越線「上越国際スキー場前」駅より徒歩3分
南魚沼市教育委員会 025-777-4671
一口メモ 駐車場特になし

 

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上杉景勝、直江兼続が幼い日ともに過ごした城

 坂戸城主館跡周辺

 のちの直江山城守兼続、樋口与六は永禄3年(1560)坂戸城下で生まれました。6歳のときに景勝に小姓として仕え、16歳で景勝に従って春日山城に上がるまでここで過ごしました。

 

 山城の多くは平時に行政などを行う場所として麓に小城、館を築きました。

 城主館は長尾房景の時代に築かれましたが、今の遺構は堀直寄が改修したものということです。南北に120メートル、東西に80メートルの長方形をしており土塁や石垣をめぐらせてあります。また、南北に門の跡があります。

 

所在地 新潟県南魚沼市坂戸
アクセス 関越自動車道「六日町」ICより車10分
JR上越線「六日町」駅より登山口まで徒歩30分
南魚沼市観光協会 025-772-7171

 

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―母の影響で観音信仰に深く帰依した謙信ゆかりの寺

 大福寺(だいふくじ)周辺

 南魚沼市長崎にあります。巻機山と金城山との懐に抱かれた、越後三十三番観音礼所十一番の寺です。上杉謙信ゆかりの寺であり、永禄2年(1559)上杉謙信関東管領のおりには祈願所となりました。寺宝は、阿弥陀如来、三社託宣、十二尺画像、薬師如来です。

 

所在地 新潟県南魚沼市長崎811
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車15分
JR上越新幹線「越後湯沢」駅より車25分
JR上越線「塩沢」駅より車15分
大福寺 025-782-3132
一口メモ 駐車場20台(無料)
     

 

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―御館の乱では小田原北条氏に攻略された城

 樺沢城五天(本丸)跡(かばさわじょうごてん)周辺

 南魚沼市樺野沢にあります。上杉景勝は弘治元年(1555)この城で生まれたと言われており、城の中腹には景勝のへその緒を収めたという胞衣(えな)塚が安置されています。

 

 樺沢城の築城時期は定かではありませんが、上越から関東へと通ずる三国街道、清水街道の分岐点にあたっており、戦国時代は坂戸城の支城としての役割を果たしました。上杉謙信の関東遠征時には、宿城でもありました。

 

 本丸跡の標高は300メートルで中世の山城です。遺構がよく残っており、鉢巻状石垣の一部なども見られます。中腹より下は三重四重の空堀土塁で防御していたという堅牢な城でした。

 

 謙信亡き後の御館の乱では、景虎方についた北条氏と景勝方との主戦場となりました。慶長3年の上杉氏の会津移封にともない廃城となり城の幕を閉じました。

 

 現在は新潟県の指定文化財となり、遊歩道や案内標識などが整備されています。

 

所在地 新潟県南魚沼市樺野沢
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車10分
JR上越新幹線「越後湯沢」駅より車20分
JR上越線「上越国際スキー場前」駅より徒歩3分
南魚沼市教育委員会 025-777-4671
一口メモ 駐車場:20台

 

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―後の直江兼続、樋口与六は六歳の時、仙桃院に見出された

 上杉景勝、直江兼続生誕の碑周辺

 景勝と兼続の生誕の碑は坂戸山の山麓にあります。

 

 喜平次顕景、のちの上杉景勝は弘治元年(1555)坂戸城主長尾政景と謙信の姉、仙桃院の嫡子として生まれました。五年後の永禄三年(1560)には樋口与六兼続、のちの直江兼続が長尾家の家臣、樋口惣右衛門兼豊の長男として生まれます。与六は六歳のときに仙桃院に見出され、景勝の小姓としてお側に仕えることになります。

 二人はその後、深い主従関係で結ばれ、激動の乱世をともに生きていくことになるのです。

 

 生誕の碑は、坂戸城近くにあります。

 

所在地 新潟県南魚沼市坂戸
アクセス 関越自動車道「六日町」ICより車10分
JR上越線「六日町」駅より登山口まで徒歩30分
南魚沼市観光協会 025-772-7171

 

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―長尾政景の死は謎に包まれている

 長尾政景の墓周辺

 政景公のお墓は南魚沼市の坂戸山山麓の緑の木立の中にあります。

 

 政景の死については諸説あり、真相はわかっていません。小説「天地人」では、景勝の父政景が野尻池で舟遊びの途中、家臣の下平修理吉長によって殺害されたとしています。「北越軍記」などによると宇佐美定満の謀殺説があります。しかし、上杉謙信が武田信玄との戦い(永禄4年の川中島出陣)にあたり、謙信は政景に留守将として全権を委ねていることからも、宇佐美氏による謀殺説は信憑性がないと「上田史談会」の方たちは語っています。

 

所在地 新潟県南魚沼市坂戸
アクセス 関越自動車道「六日町」ICより車10分
JR上越線「六日町」駅より登山口まで徒歩30分
南魚沼市観光協会 025-772-7171

 

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―御館の乱の戦火から大般若経を守った味噌

 関興寺(かんこうじ)周辺

 南魚沼市上野にあります。約六百年の歴史がある臨済宗円覚寺派の寺院です。

 

 上田長尾氏や上杉氏と深い関わりをもち、かつては越後、北陸に300もの末寺を抱え、別格10万石の格式を与えられていました。

 

 天正6年(1578)の御館の乱では、戦火を受け諸堂が焼失しましたが、上杉氏から寄進された約600巻の大般若経を味噌樽の中に入れて守ったと言い伝えられています。それからは、この味噌をいただくと大般若経の御利益にあずかり福徳が授かると言われ、「関興寺の味噌なめたか」という言葉が生まれました。慶長5年上杉景勝の米沢への移封に従い、東岩和尚が米沢に関興庵を建立しました。寛文年間に米沢より万源和尚を招き上山の地から現在の上野に移りました。

 

 歴史ある石段を登ると大きな石庭が広がっていて、本堂裏には睡蓮池そして鐘楼があります。

 

所在地 新潟県南魚沼市上野267
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車5分
JR上越新幹線「越後湯沢」駅より車10分
JR上越線「石打」駅より車3分
関興寺 025-783-2111
一口メモ 開館時間 9時から16時 年中無休
拝観料 無料
駐車場 15台
   

 

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小説『天地人』の「雪崩」はここに由来している

 天昌寺周辺

 南魚沼市思川にあります。小説『天地人』上巻第四章「雪崩」には鈴木牧之のことが書かれています。天昌寺は、雪国の風土を記した『北越雪譜』の「寺のなだれ」の舞台になっているのです。当時の和尚は鈴木牧之の伯父にあたる人で、「寺のなだれ」の主人公でした。牧之は度々この寺を訪れて作品を残しており、本堂の庭には句碑があります。

 

 約五百年前の延徳2年(1490)に、雲洞庵七世禅実和尚を請して曹洞宗の寺院として開創しました。それより前の数百年間は、実際庵という密教寺院でした。天正元年(1573)に天昌寺と改め、同14年(1587)上杉家より観音免として十石を拝し、免除地となりました。その後、堂宇を焼失しましたが、万治2年(1659)に再建されました。

 

 寺宝は、木造正観世音菩薩坐像、木造特国天立像、木造多聞天立像の三体で新潟県の指定文化財になっています。本堂の浮彫の欄間十面のうち七面は幕末の小林源十郎の大作で、南魚沼市の重要文化財です。

 

所在地 新潟県南魚沼市思川39
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車15分
JR上越新幹線「越後湯沢」駅より車25分
JR上越線「塩沢」駅より車5分
天昌寺 025-782-0147
一口メモ 駐車場 10台(無料)

 

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―長尾政景溺死の地はここだったのか?

 銭淵公園(ぜにぶちこうえん)周辺

 坂戸城にとって外堀の役目を果たしていた魚野川が、坂戸山裾にぶつかり大きく蛇行し、渦巻いていたところが銭淵でした。

 長尾政景が溺死したのはここだったという説もあります。

 

 平成8年に河川改修されて、銭淵公園となっています。日本庭園風のしつらえで、四季を通じて花が咲き、遊歩道で中央の池のまわりを散策することができます。駐車場では、5月から10月の日曜日、朝6時から8時(売り切れ次第終了)に六日町温泉朝市を開催しています。

 

所在地 新潟県南魚沼市坂戸
アクセス 関越自動車道「六日町」ICから国道17号を湯沢方面に2km走った先を左折、坂戸橋を渡り1km左折
JR上越線「六日町」駅より徒歩20分
一口メモ 駐車場 20台 無料

 

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―上杉景勝、直江兼続は少年期、この寺で学んでいた

 雲洞庵(うんとうあん)周辺

 金城山の山麓にある曹洞宗の寺院です。

 

 喜平次景勝と与六兼続は幼少のころ、ここで学問を学びました。当時の住持は北高全祝や通天存達でした。通天存達は長尾政景の兄で、景勝の伯父にあたる人でした。兼続の兜の前立ての「愛」という文字は、この通天存達の教えからなると言われています。

 

 雲洞庵は養老元年(717)に藤原氏ゆかりの尼寺として開かれましたがその後衰退し、室町時代に上杉憲実が藤原氏末裔の縁で、曹洞宗の寺として開創しました。本堂は上杉憲実によって建立され、江戸時代の宝永年間に出雲崎の大工群によって再建されました。

 

 新潟県の指定文化財になっています。本尊釈迦無尼仏、脇侍、伽葉尊者、阿難尊者、十六羅漢、を安置しています。宝物殿には、上杉景勝公遺墨、武田信玄公書状、北高禅師「火車落としの袈裟」、戦国武将の古文書などが展示されています。

 樹齢300年の杉木立の中の赤門をくぐると本堂正面まで石畳が続きます。その下には法華経が一石一字ずつ刻まれていて、踏みしめてお参りすると罪業消滅、万福多幸の利益に預かると言い伝えがあります。そこから「雲洞庵の土踏んだか」という言葉が生まれたということです。

 

所在地 新潟県南魚沼市雲洞660
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車15分
JR上越線「塩沢」駅から車約10分
上越新幹線「越後湯沢」駅から車約30分
雲洞庵 025-782-0520
一口メモ
開門時間 4月1日―12月30日: 9時から16時30分まで(16時までに入館のこと)
お休み 平成21年4月1日~平成21年12月30日までは休館日なし
拝観料 大人300円 小学生100円

 

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―その懐には古刹雲洞庵が静寂の杉木立のなかに建つ

 金城山(きんじょうさん)周辺

 標高1,367メートル、JR塩沢駅から見ると正面に聳え立つ山で、山の形が金の字に似ているところに名前の由来があります。名山巻機山から派生する尾根上に位置しています。

 

 景勝と兼続は幼少のころこの金城山の麓にある雲洞庵で、ともに住持の通天存達に学問を学んでいました。通天存達は、景勝の伯父にあたる人で、当時の最高学府の足利学校を主席で卒業したというほどの高僧でした。兼続の兜の前立ての「愛」の文字は、「国の成り立つは民の成り立つを以ってす」という通天存達の教えからきていると言われています。

 

 八合目あたりから越後三山や六日町盆地、坂戸山が見えるようになります。山頂の南側は切り立った崖で近くに「おむろ」と呼ばれる大岩窟があり、薬師如来が祭られています。ここからの眺めはすばらしく、巻機山、越後三山、谷川連峰、苗場山の大パノラマが望めます。

 

所在地 南魚沼市雲洞
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車15分
JR上越新幹線「越後湯沢」駅より車25分
JR上越線「石打」駅より車18分
路線バス 「六日町」駅より雲洞入り口まで10分、登山口まで20分
南魚沼市商工観光課 025-773-6665
一口メモ
小屋 金城山避難小屋山頂北100メートル付近 宿泊10人、トイレ有り
駐車 二合目 車止まり駐車スペース有り(7台)
登山コース (雲洞コース) 登山口―(60分)―4合目―(45分)―6合目―(45分)
―滝入コース分岐―(60分)―山頂
その他 滝入コース、水無コース等

 

―謙信の軍用道路、かの清水峠と登山口を同じくする県境の山

 巻機山(まきはたやま)周辺

 日本百名山の一つに数えられている山で、新潟、群馬の両県にまたがっています。

 

 標高1,967メートル、たおやかな山容で頂上近くの草原にはニッコウキスゲ、ハクサンコザクラなどの花が咲き乱れ、オオシラビソの林と相まって美しい景色が広がっています。点在する池のつつみには空の青が映り、神秘的な美しさをたたえています。登山口は麓の清水集落ですが、ここはかの上杉謙信が関東遠征の折に超えていった清水峠の入り口でもあります。

 

 巻機山は登山口からの標高差が1,500メートルと大きいため、麓の清水集落の民宿に泊まって、早朝に出発するのがよいでしょう。

 

所在地 関越自動車道「塩沢石打」ICより車25分
アクセス JR上越新幹線「越後湯沢」駅より車40分
JR上越線「石打」駅より車25分
路線バス「JR六日町」駅より32分(問い合わせ 南越後観光バス 025-773-2573)
南魚沼市役所商工観光課 025-773-6665
清水観光協会(小野塚) 025-782-0924
清水民宿組合(やまご) 025-782-3402
一口メモ      
山開き 例年5月第4日曜
期間 5月下旬から10月中旬
小屋 巻機山避難小屋(無人)、2F、トイレ、非常用無線
駐車場 桜坂駐車場(30台) 普通車500円、大型車1000円
注意 バス停降り口、桜坂駐車場に登山カードあり、提出必修
宿泊施設 南魚沼市清水に5軒あり
小野塚 025-782-0924
泉屋 025-782-3478
上田屋 025-782-3403
やまご 025-782-3402
雲天 025-782-3473
対象―中級者  難易度―やや難  水場―米子沢源頭
登山コース 一般コース(井戸尾根コース)
上級者コース1(ヌクビ沢コース)
上級者コース2(天狗尾根、割引岳コース)

上級者コース1、2ともに雪の状況により大変危険な箇所あり、入山前にお問い合わせ下さい。なお危険なので下山には絶対に利用しないで下さい。

 

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―エキゾチックな雰囲気がいっぱいの美術館

 今泉博物館周辺

 景勝が生誕したと伝えられる樺沢城跡の石膏模型が展示されている「今泉美術館」。

 

 樺沢城跡にもほど近く、清らかな魚野川のほとりに建つ、この美術館は平成二年に開館しました。

 

 旧塩沢町出身の今泉隆平氏からの寄付金をもとに建設されたこの美術館は、主にパプアニューギニアのセピック川流域に住む原住民の生活用具、精霊の像などを展示しています。その他にも世界各地の仮面、民族衣装を身につけた人形などがあり、エキゾチックな雰囲気に満ちた空間になっています。

 

所在地 新潟県南魚沼市下一日市855
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車5分
JR上越線「石打」駅より車5分
南魚沼市立今泉美術館 025-783-4500
一口メモ 開館時間 9時30分から17時(入館は16時30分まで)
休館日 毎週月、火曜(祝日の場合は火、水曜)、8月は月曜のみ、但し団体でご予約頂ければ随時開館いたします。
入館料 大人500円 小中高生250円
団体大人400円 小中高生団体200円(団体は20人以上)

 

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―坂戸城絵図も収蔵する『北越雪譜』著者の記念館

 鈴木牧之記念館周辺

 兼続・景勝が幼少期、過ごした坂戸城絵図が所蔵されています。

 

 江戸時代の明和7年(1770)、南魚沼市塩沢に生まれた鈴木牧之は、縮仲置商、質屋を営みつつ『北越雪譜』を記しました。『北越雪譜』は発案から出版までに40年もの歳月がかかりましたが、天保8年(1837)に出版されるとベストセラーになり、今では国内外で高い評価を得ています。

 

 『北越雪譜』には、雪の結晶のスケッチから風俗、方言や産業、奇たんにいたるまでが詳しく記されています。なかでも「寺のなだれ」の主人公は、牧之の伯父であった天昌寺の和尚でした。

 

 記念館には鈴木牧之の遺墨、初版本、出版を引き受けてくれた山東京山との書簡集、交流のあった曲亭馬琴との書簡集などが展示されていて、牧之の筆跡を目にすることができます。

 

 江戸時代の雪国の暮らしを知ることで、タイムラグはありますが、兼続・景勝を育んだ土地と二人の強さの秘密を探る手がかりがつかめそうです。

 

所在地 新潟県南魚沼市塩沢1112-2
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車15分
JR上越線「塩沢」駅より徒歩5分
鈴木牧之記念館 025-782-9860
一口メモ 開館時間 9時から16時30分
休館日 毎週月、火曜(祝日の場合は火、水曜)、10月は月曜のみ、冬期は12月29日から1月31日、但し団体でご予約頂ければ随時開館いたします。
入館料 大人500円 小中高生250円
団体大人400円 小中高生団体200円(団体は20人以上)
駐車場 大駐車場あり(無料)

 

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―義に生きた名主従上杉景勝と直江兼続、生誕の地に

 景勝・兼続レリーフ周辺

 長尾喜平次顕景(後の上杉景勝)は弘治元年(1555)坂戸城主長尾政景の嫡子として生まれました。五年後の永禄3年(1560)樋口与六兼続(後の直江兼続)は長尾家の家臣、樋口惣右衛門兼豊の長子として坂戸城下に生まれます。与六は6歳のとき、景勝に小姓として仕えることになります、名僧北高全祝や通天存達の下、共に雲洞庵で学び、謙信の養子となる景勝に従い春日山城に入りました。その後御館の乱に勝利した景勝が上杉家を継ぐと、兼続は若くして執政となり内政に外交にと手腕を発揮、終生景勝を支え続けました。景勝と兼続名主従は師である謙信から受け継いだ「義」を貫いて、動乱の戦国末期を生き抜いたのです。

 

 上杉景勝と直江兼続のレリーフは二人が生まれ共に育った南魚沼市の市役所前にあります。

 

所在地 新潟県南魚沼市六日町180-1
アクセス 関越自動車道「六日町」ICより10分
JR上越線「六日町」駅より徒歩5分
南魚沼市観光協会 025-772-7171

 

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―雪の坂戸城で打ち鳴らされる勇壮な御実城太鼓

 南魚沼市雪まつり周辺

 長尾景勝と樋口与六兼続は幼少のころ、ともに坂戸城で過ごしました。

 

 上田長尾氏の家臣団は上田衆と呼ばれ、上杉謙信軍中最強と恐れられていたといいます。先陣を任されたという上田衆の打ち鳴らす陣太鼓はやがて御実城太鼓と呼ばれるようになりました。

 

 今でも「御実城太鼓保存会」の勇壮な太鼓に当時を偲ぶことができます。

 

 南魚沼市雪まつりは毎年2月の第二土・日曜に坂戸山の麓で開催されます。

 雪まつり特設会場では、坂戸城をかたどった雪のステージで、御実城太鼓や上田五十騎組などの郷土芸能が上演されます。雪の広場では、かまくらや特産品コーナーもあり、雪国を満喫することができます。

 

所在地 新潟県南魚沼市雪まつり特設会場(六日町小学校脇)
アクセス 関越自動車道「六日町」ICより10分
JR上越線「六日町」駅より徒歩15分
南魚沼市観光協会 025-772-7171

 

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―若き日の兼続(お六)と景勝の妹(桂姫)との想像上の恋物語を謡った

 お六甚句周辺

 後に直江兼続となる樋口与六兼続は坂戸城下で生まれました。生来の利発さを見出され、6歳のとき上杉景勝の小姓として仕えることになります。

 

 また、景勝には2人の姉妹がいました。『常山紀談』や『名将言行録』などに「背が高く容姿端麗で頭脳明晰、文武両道に秀でた武将であった」と描写されていることからも、兼続は少年時代から聡明で美しい少年であったようです。

 

 民謡「お六甚句」のお六とは兼続の幼名与六の愛称で、若き日の兼続と景勝の妹桂姫との想像上の恋物語が謡われています。毎年8月の「南魚沼市兼続公まつり」大民謡流しでは市民約2000人が「お六甚句」を踊ります。

 

南魚沼市観光協会 025-772-7171

 

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―毘沙門堂を起点に33ヶ所の観音様をめぐる遊歩道

 西山33番観音めぐり周辺

 浦佐の旧三国街道を山側に登ったところに、坂上田村麻呂が建立したという伝承のある毘沙門堂があります。観音菩薩を祀っているこの毘沙門堂を起点として、その裏山には全長3キロの遊歩道があり、33ヶ所の観音様と麻耶山が配置されています。それぞれの観音様の前には、歌を書き込んだスタンプが置かれており、スタンプラリーを楽しむことができます。一周約2時間半の道程です。

 

所在地 新潟県南魚沼市
アクセス

関越自動車道「小出」ICより車10分

関越自動車道「大和PA」スマートIC(ETCのみ)より車5分
JR上越線・上越新幹線「浦佐」駅より徒歩5分

南魚沼市観光協会・大和案内所 025-777-3054

 

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―三国街道と魚野川舟運を監視する重要な拠点の城

 浦佐城(浦沢城)周辺

 標高300メートルの山城で、応永28年(1421)に大関氏によって築城されたとされています。

 

 戦国時代には清水藤左衛門らの居城でした。上杉景勝と三郎景虎が家督を争った天正6年(1578)の御館の乱の際には、上杉景勝方につきました。景虎の援軍・北条軍に攻撃されますが、撃退し景勝より感状を賜っています。

 

 三国街道と魚野川舟運を監視する重要な拠点であったため、戦国時代には上杉氏の出城としての役割を担いました。曲輪・土塁・空堀が残り、山頂には薬師如来の祠があります。代々の城主は領民の健康を祈願して、薬師如来を信仰し、麓の千住院の住職に薬師如来の守護を任せたと伝わっています。

 

所在地 新潟県南魚沼市浦佐

アクセス

関越自動車道「小出」ICより車10分

関越自動車道「大和PA」スマートIC(ETCのみ)より車5分
JR上越線・上越新幹線「浦佐」駅より徒歩

南魚沼市観光協会・大和案内所 025-777-3054

 

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―雄大な八海山の自然に包まれたユニークな美術館

 池田記念美術館周辺

 「八色の森公園」と呼ばれる奥只見レクリエーション都市公園の中に建設された美術館です。

 

 (財)池田記念財団の所蔵するコレクションを展示しています。国内・海外の美術品から小泉八雲の文学資料、スポーツ文化の展示というユニークなものまで、幅広く展示されており、スポーツ文化展示室には、「長嶋茂雄コーナー」が設けられています。

 

 八海山の雄大な姿を見渡せるロビーでは、結婚式を挙げることもでき、美しい自然の中で美術品に触れることができる美術館です。

2009年1月から2009年12月23日まで「直江兼続生誕地地南魚沼寺宝展」として「天地人」ゆかりの 法音寺・浦佐毘沙門堂宝物を展示しています。 

所在地 新潟県南魚沼市浦佐5493-3
アクセス

関越自動車道「六日町」「小出」ICより車10分
関越自動車道「大和PA」スマートIC(ETCのみ)より車5分
JR上越線・上越新幹線「浦佐」駅東口より徒歩15分

池田記念美術館 025-780-4080
一口メモ
開館時間 9時から17時(入館は16時30分)
休館日 毎週水曜(祝日の場合は翌日)・年末年始・展示変更のための臨時休館あり
入場料 一般500円・高校生以下無料

 

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―上田長尾家の祈願所であった真言宗の古刹

 法音寺(ほうおんじ)周辺

 真言宗智山派の寺院です。天平七年(735)、藤原麻呂によって創建されたと伝えられ、寺の名も麻呂の法名に由来するとされています。上田長尾家の祈願所でもありました。

 

 別棟には阿弥陀堂・宝蔵があり、阿弥陀堂に安置されている阿弥陀如来像は、南天竺仏哲比丘が持参したと伝えられるもので、30年に1度、御開帳のときに限り、拝観することができます。同時に虫干しされる宝蔵の宝物もあわせて拝観できます。

 2009年1月から2009年12月23日まで「直江兼続生誕地南魚沼寺宝展」として「天地人」放映にあわせて 池田記念美術館において宝物展を開催しております。

 

所在地 新潟県南魚沼市法音寺
アクセス 関越自動車道「六日町」ICより車10分
JR上越線「六日町」駅よりバス、「上原」下車・徒歩
法音寺 025-775-2626

 

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―樹齢400年の大カツラの木がそびえる真言宗の寺院

 薬照寺(やくしょうじ)周辺

 真言宗智山派の寺院です。境内には、新潟県の天然記念物で、樹齢400年以上といわれる大きなカツラの木がそびえています。本堂は天明3年(1783)に建立されたもので、本尊は薬師如来です。宝物殿には、ミレーや藤田嗣治らの絵画・中国の陶磁器・俑(木製の人形)・古鏡などが展示されています。この寺はビルマの宰相だったバー・モウが亡命し、隠棲した寺としても知られています。

 

所在地 新潟県南魚沼市君沢851
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車5分
JR上越線「石打」駅より車5分・上越新幹線「越後湯沢」駅より車15分
薬照寺 025-783-2510
一口メモ 開館時間 9時から16時、駐車場 50台

 

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―関東遠征に上杉謙信が利用した険しい県境の峠

 清水峠(十五里尾根)謙信尾根周辺

 天正6年(1578)の御館の乱の際、上杉景勝は三郎景虎の援軍・北条軍を阻止しようとしました。そこで、坂戸城将の深沢刑部・樋口主水(兼続の一族)に命じて、荒戸城とともに、清水峠を監視する直路城の防備を固めさせました。

 

 清水峠は直越え・直路・ゆのひそ越え・馬峠などとも呼ばれた群馬県と新潟県の県境の峠で、標高は1,448メートルあります。十五里尾根とは、清水から水上町へと到る尾根を越えて行く距離が、15里あったことに由来しており、古くから三国峠とともに、越後と関東を結ぶ主要道路でした。三国峠に比べて、関東への日数を1日ほど短縮できたため、戦国末期には、上杉謙信が軍道として利用したとされています。

 

 昭和6年のJR上越線開通により、現在ではほとんど利用されなくなりましたが、多くの登山者に親しまれています。

 

所在地 群馬・新潟県境
アクセス 登山口・清水集落 関越自動車道「塩沢石打」ICより車25分
JR上越線「六日町」駅よりバス・「石打」駅より車25分
上越新幹線「越後湯沢」駅より車40分
南魚沼市商工観光課 025-773-6665
一口メモ
中級者向き
期間 6月下旬から10月中旬
山開き 5月第4日曜、駐 追分付近に10台
宿泊施設 清水集落に5軒
 小野塚 025-782-0924
 泉屋 025-782-3478
 上田屋  025-782-3403
 やまご 025-782-3402
 雲天 025-782-3473
バス停降り口の桜沢駐車場に登山カードあり、提出必修

 

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―鉄砲隊「カラス組」を編成し、国境線の守りを固めた

 八海山周辺

 織田信長の侵攻に備え、直江兼続は妙高山・米山・八海山の山伏を募り、独自の鉄砲隊「カラス組」を組織しました。

 

 魚沼連峰県立自然公園の中にある八海山は標高1,778メートルあり、越後駒ケ岳・中ノ岳とともに越後三山と呼ばれ、古来より山岳信仰の霊場でした。

 

 今から約750年ほど前に木喰芳賢上人が開いたと伝えられている八海山は、現在でも信仰登山が盛んで、夏になると山伏と呼ばれる白衣の行者が訪れます。山麓の城内では7月1日に、大崎では10月20日になると火渡りが行われています。祭壇前の杉の木に火がつけられ、燃え尽きて黒い炭に変わったところを、家内安全・無病息災を祈願して、素足の山伏たちが渡ります。

 

所在地 八海山尊神社 南魚沼市大崎4161
アクセス

関越自動車道「小出」ICより車20分、「六日町」ICより車15分
関越自動車道「大和PA」スマートIC(ETCのみ)より車10分

八海山尊神社 025-779-2010、南魚沼市商工観光課 025-773-6665

 

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地元の人たちからは延命の泉として親しまれています。延命霊泉とも呼ばれています。

 お茶の清水周辺

所在地 新潟県南魚沼市坂戸
アクセス

関越自動車道「六日町」ICより車10分
JR上越線「六日町」駅より徒歩30分

 

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―兵六万を収容できたと伝わる坂戸城の支城

 六万騎山城(ろくまんきやま)周辺

 築城時期は天文年間(1532~55)と考えられています。南北朝時代の後期にこのあたりを中心にして南朝方と北朝が戦った際の根拠地であったと考えられています。その後上杉兼顕が越後守護となり、家臣の長尾氏に国境の上田庄を守らせると、坂戸城の支城となりました。

 

 標高が321メートルある堅固な山城で、山頂からは上越国境の山々や魚沼盆地が一望できます。福島大炊介政為の居城とされており、城郭の大きさから、六万騎城と名がついたと推測されています。曲輪・土塁・空堀などが残っています。慶長3年(1598)上杉景勝の会津への移封により、廃城となりました。

 

 現在は山全体がカタクリの群生地となっており、1周約1時間のトレッキングコースがあり、秋には紅葉が楽しめます。

 

所在地 新潟県南魚沼市麓
アクセス 関越自動車道「六日町」ICより車15分
JR上越線「五日町」駅より徒歩30分
南魚沼市教育委員会 025-777-4671、南魚沼市観光協会 025-772-7171
一口メモ 西側麓にある地蔵尊に登山口あり

 

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―いにしえより越後と関東を結んできた主要交通路

 三国街道(みくにかいどう)周辺

 古くから越後と関東を結ぶ主要道路で、松之山街道・直峰街道・魚沼街道・妻有街道・上田街道とも呼ばれていました。戦国時代には上杉謙信が軍道として整備し、街道沿いの城を結び関東への遠征に利用しました。天正6年(1578)の御館の乱では、三郎景虎の援軍・北条軍は、冬を前にして三国峠を越え、関東へと主力部隊を退きました。三国峠を越えた越後側は、上田庄と呼ばれる日本屈指の豪雪地帯でした。

 

 特産品のあおそで作った糸で織り上げた越後上布は、雪の上で晒され色合いとしなやかさを増します。当時は非常に珍重され、この三国街道や魚野川の舟運を利用して、関東・京・摂津へと商いされていきました。江戸時代になると、幕府の佐渡金銀山の開発に伴って整備が進められ、参勤交代路として利用されました。

 

 三国トンネル近くの国道からわき道に入ると、江戸時代の初めに作られた石畳が残る旧道に至ります。そこから30分ほどで、三国峠へと出ます。

 

 

 

―江戸時代より春を告げる農具市が立つ一の宮神社

 一の宮神社周辺

 魚野川沿いの地域には、昔市が立ち市場経済が盛んであったことが偲ばれる地名が残っています。

 

 ここ一宮神社は江戸時代より百姓の神・農作の神として信仰を集めてきました。毎年3月12日になると、まだ雪深い周辺の村々から大勢の人々がこの神社に参拝に訪れたといいます。そして物々交換の市が立ったのが「一宮神社農具市」の始まりとされ、次第に大きくなっていきました。市は大里地区の入り口から神社の参道・境内まで続き、竹細工・藁細工・木製品・植木・農具などの店が並びます。

 

 雪国の長い冬が終わり春を告げる節季市とも呼ばれています。

 

所在地 新潟県南魚沼市大里
アクセス 関越自動車道「塩沢石打」ICより車10分
JR上越線「塩沢」駅より車5分、上越新幹線「越後湯沢」駅より車25分
南魚沼市商工観光課 025-773-6665
一口メモ 開催日 毎年3月12日
   

 

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―魚野川とその分流に守られた堅固な防備の天然の要害

 坂戸城(埋田堀)周辺

 上田庄は古くから越後と関東を結ぶ三国街道上にあり、三国峠を越えた越後側の入り口であったことから、軍事上非常に重要な拠点でした。南北朝期に新田氏によって築かれた坂戸城は、戦国時代には越後守護代長尾氏の一族・上田長尾氏の居城となり、長尾氏は城を大規模に改修します。坂戸山全山は要塞化され、城の東には五十沢川・三国川、西側には魚野川が流れる天然の要害として堅固な防備を誇りました。

 

 当時は魚野川の分流が羽黒鼻の先端から銭淵まで、坂戸山裾近くを急流となって流れていました。廃城後、埋田・埋田堀と呼ばれてきた泥田も含めて、城の正面を防備する第二の防御線の内堀として重要な役割を担っていました。

 

所在地 新潟県南魚沼市坂戸
アクセス 関越自動車道「六日町」ICより車10分
JR上越線「六日町」駅より登山口まで徒歩30分
南魚沼市観光協会 025-772-7171
一口メモ 駐車場 60台

 

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―関東への主要路であった清水峠を監視する山城

 直路城(じきろじょう)(清水城)周辺

 永禄年間(1558~70)に築かれたとされています。

 

 上杉謙信が関東に遠征した際には、長尾伊賀守に守護を命じました。

 

 謙信の死後起こった天正6年(1578)の御館の乱では、景虎の援軍・北条軍を阻止するために、景勝は坂戸城将の深沢刑部・樋口主水(兼続の一族)らに命じて荒戸城・直路城の防備を固めています。

 

 直路城は別名を清水城ともいい、標高830メートルの山城です。越後と関東を結ぶ主要路の清水峠を望む場所に位置し、監視する目的で築かれました。曲輪・土塁・空堀などが残っています。

 

 当時関東への主要な道路は三国峠・清水峠の二つがありましたが、清水峠の方が道は急峻ですが、日数を短縮できたため、直路と名がついたとされています。

 

 慶長3年(1598)の上杉景勝の会津移封により廃城となりました。

 

所在地 新潟県南魚沼市清水
アクセス 国道291号線・清水の終点から登山口に至る

 

―上田衆の打ち鳴らす陣太鼓の勇壮な響きを今に

 御実城太鼓(おみじょうだいこ)周辺

 景勝の直臣団の上田衆について、小説天地人の中では「押しが強い」と特徴づけられています。「一般に、越後人は出しゃばるのを嫌い、我を張らず、自分の意見を通すよりも他との協調性を重んじる傾向がある。だが、魚沼地方には峠越えで上州気質が入ったためか、物事に積極的であり、目的に向かって果敢に突きすすんでいく行動力と強固な団結力を持っていた。景勝、兼続主従を背後からささえ、後押ししたのは、その上田衆独特の気質にほかならない。」(「天地人」より)

 上田衆は謙信の時代から、上杉謙信軍中最強と恐れられていたといいます。先陣を任されたという上田衆の打ち鳴らす陣太鼓はやがて御実城太鼓と呼ばれるようになりました。

 

 今でも「御実城太鼓保存会」の勇壮な太鼓に当時を偲ぶことができます。

 

 8月上旬の「南魚沼市兼続公まつり」と2月に開催される「南魚沼市雪まつり」を訪れて勇壮な太鼓の響きを全身で感じてみてはいかがでしょう。

 

南魚沼市観光協会 025-772-7171

 

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―謙信・景勝が武運を祈願した坂上田村麻呂ゆかりの古刹

 普光寺(ふこうじ)周辺

 旧三国街道から石段を登ると真言宗の寺院・吉祥山普光寺があります。この寺の歴史は古く、大同ニ年(807)四道将軍・坂上田村麻呂が蝦夷討伐のためにこの地を訪れた際に、毘沙門堂を建立し、普光寺はその別当寺として創建されたと伝えられています。

 

 上杉謙信や景勝が、武運を祈願した寺でもあります。

 

 本堂は延宝8年(1680)に建立され、毘沙門堂とは回廊でつながっており、江戸時代には6六つの塔頭があったほどの大きな寺でした。


 

 本尊は大日如来、寺宝は「双龍図板絵」「十六羅漢像」で、庫裏の一角で鎌倉時代より伝わる古文書とともに公開されています。

 

 南魚沼市の指定文化財となっており、毘沙門堂内では、毎年3月3日に日本三大奇祭の一つ「裸押合祭り」が開催されます。

 

所在地 新潟県南魚沼市浦佐2495
アクセス

関越自動車道「小出」ICより車10分
関越自動車道「大和PA」スマートIC(ETCのみ)より車10分
JR上越線・上越新幹線「浦佐」駅より徒歩5分

025-777-2001
一口メモ 開館時間 8時から17時

 

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―戦乱の世を彷彿とさせる上杉ゆかりの鎧

 

 米沢、置賜地方の考古、歴史、民俗資料を中心に、700余点の貴重な資料を収蔵、展示している博物館。若くから郷土史の研究をしていた故宮坂善助前館長が80余年の生涯をかけて収集しました。資料は旧米沢藩に関する重要文化財が多く、甲冑や火縄銃、屏風、郷土の埋蔵文化財などが多数展示されています。

 

  

所在地
山形県米沢市東1-2-24
アクセス

JR米沢駅から徒歩5分

米沢市宮坂考古館 0238-23-8530
一口メモ

開館時間 10:00~17:00(10~3月は16:00まで)
休館日 月曜日、祝祭日の翌日 
入館料 大人300円、大高生200円、小中生100円

   

 

 

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関東管領 上杉憲政 所用具足

 

素懸紫糸威黒塗板物五枚道具足
     昭和四十一年四月六日
     山形県指定有形文化財
     兜・頬当・籠手・臑当付

上杉謙信(長尾景虎)に関東管領の職と上杉の姓を譲った上杉憲政の所用と伝えれる。
室町末期戦乱の激化に伴い、新形式の甲冑が考案され、当世具足と称した。袖は槍や長刀などの打物戦を反映して廃止又は極端に縮小されている。
この具足は、黒塗板物の立挙三段で胴五段を紫糸の素懸威(緒通し)である。兜は二十二間筋兜で銀の総覆輪、臑当も黒塗竹雀の金蒔絵と三枚筒に牡丹獅子を金蒔絵にした豪華なものとなっている。
仏像の前立は戦場で命をかけて戦うとき、仏様に加護を願い護身のために流行したものといわれている。
室町末期から桃山時代にかけての作と見られる。

 

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上杉景勝 所用具足

 

浅葱糸威黒皺韋包板物二枚胴具足
     昭和四十一年四月六日
     山形県指定有形文化財
     兜・袖・頬当・籠手・臑当・佩楯付

上杉景勝(米沢藩初代藩主)が着用した甲冑と伝えられている。
具足は甲冑の中では戦闘方法の変化により、機能的に構成されており、当世具足のことをいう。武将の個性を出すのに兜・前立・頬当などにその特徴を表現するようになった。
板物製は着脱の便から蝶番を用いており左側の蝶番によって胴が前後二枚に分かれるものを二枚胴という。
この具足は前胴八段を韋綴にし全体を黒皺韋包(黒いしわのようなでこぼこの韋)としている。
草摺は表が銀色、裏が黒塗りの切付札板七間五下りを白糸と紺糸で威している。
兜鉢は黒塗六二間一行三一点の小星兜でしころの吹返しに銀製の竹雀据文がある。
前立は一対の瑞鳥を向き合わせ、中央に日天ほか六軍神名を刻んだ小円板を載せている。
室町末期の作と見られ、凛とした気品に満ちている。

  

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直江兼続 所用具足

 

浅葱糸威錆色塗切付札二枚胴具足
     昭和四十一年四月六日
     山形県指定有形文化財
     兜・袖・頬当・籠手・臑当・佩楯付

直江兼続(上杉景勝の重臣)の所用で、慶長五年秋、最上合戦のおり着用したと伝えられる。
胴は浅葱糸(臼井ネギの葉の色に染めた糸)で威し、錆色塗切付札板(札を連接して札板とするかわりに一枚の板で連接した札の様に札頭を切ってあるもの)を用いている。
草摺(胴に附属し腰から上脚部を守る部分で歩行に便利なように数片に分割されている。当世具足は五間から九間まである)は通常の七間五下りで切付札板である。
具足とは元来、物が具わるという意味で既に中世に兜・胴・袖の三物が具わっている。それに頬当、喉輪、籠手、佩楯(膝鎧)などの小具足を具えている。
頬当は歯形付で白髪を植え、浅葱糸威切付札板四枚の喉輪付きである。
兜鉢は錆色塗六二間筋兜。前立は大きな鍬形と梵字を戴いている。梵字はアンで普賢菩薩(胎蔵界)を表している。
佩楯は紺糸威黒色伊予札板四段下り。
兼続好みの渋い農耕な甲冑である。文禄慶長年間の作と見られる。

  

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前田慶次 所用具足

 

朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足南蛮笠式
     兜・肩当・頬当・籠手・佩楯・臑当付

前田慶次所用と伝えられている。
前田慶次は加賀百万石の後継者として、前田利家の兄利久の養子となった。しかし義父利久は事に連坐して信長に進退を問われ、頭を丸め利家に家督を譲った。慶次は浪々の身となってしまった。しかし、おじ利家に従って二度に渡る朝鮮出兵後、単身利家のもとを去り「穀蔵院瓢戸斎」と称し、京都で貴賎墨客と交わり文武両道を会得した。文武の道で己を凌ぐ人物・直江兼続と親交、戦国諸大名の中で上杉景勝こそ武将中の武将と惚れこんでいた。
慶次は上杉景勝の客分として戦国の父秩禄で組外扶持方という自由な立場であった。
この具足はいかにも奇行をもって知られた豪傑慶次好みの甲冑といえる。
兜は編笠形で頬当には長い髭を立てている。裃の様に肩の張った肩当と金色の鱗形袖はなんとも異風である。胴は最上胴、草摺が朱漆塗り(肩当も)で派手な造りである。籠手、佩楯は素鉄の総鎖繋で正に実践用といえる。
慶長五年最上の役で兼続とともに、赤柄の大鎗を振るって武勇を轟かせたという。

 

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 上杉謙信 所用具足

 

素懸白綾威黒皺韋包板物腹巻
      昭和四十一年四月六日
      山形県指定有形文化財
      兜・壺袖・頬当・背板・籠手・臑当・杏葉・佩楯付

上杉謙信が関東管領上杉憲政から拝領したと伝えられる。
腹巻きは中世甲冑の一様式で戦闘方法が変わってきて軽快で機能性に優れ、さらに動きやすく考案されたものである。これは四ヵ所蝶番入鋲腹巻で黒皺韋包板物を白綾で素懸威(緒通し)したもので、裾つぼまりの壺袖にもその特徴を見ることができる。
草摺は八間で歩きやすく五下り。
兜は黒韋張懸頭巾で、祓立(前立を立てる金具)があり、前立は金属製の蜻蛉(勝虫)である。
身をすきまなく覆うことのできる、実線向きの甲冑で、室町時代後期の作と見られる。

―上杉氏ゆかりの城下町・米沢の歴史と文化に触れる

 

 米沢城二の丸跡地にできた「伝国の社」内に開館した博物館です。

 

  国宝「上杉本洛中洛外図屏風」と国宝「上杉家文書」など、上杉家ゆかりの品々が収蔵されています。

 

  企画展示室では、上杉文化など歴史や美術に関する企画展や、郷土ゆかりの作家や作品を取上げた展示を行います。

 ※平成21年1月24日(土)~平成22年1月11日(月) 期間中無休

 

米沢 愛と義のまち「天地人博2009」を開催中です。

 

  

所在地 山形県米沢市丸の内一丁目2番1号
アクセス

「山形蔵王」IC、「福島飯坂」ICより車50分

JR米沢駅から2km  上杉神社隣接

市民バス 米沢市街地循環 上杉神社前下車

米沢市上杉博物館 0238-26-8001
一口メモ

開館時間 9時から17時(入場は16:30まで)
観覧料(常設展示) 一般700円、学生500円、小中学生300円

   

 

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 上杉謙信

 

 

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上杉景勝 

 

 

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 直江兼続

 

 

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 直江状

 

 

―軍神謙信が1年がかりで開城した強固な城

 

 七尾城は能登守畠山氏の居城として築かれました。険しい山岳部を巧みに利用した難攻不落と言われた山城です。天正5年(1577)に上杉謙信に包囲され、一年に渡って持ちこたえましたが、遊佐続光の内応により開城しました。七尾城主畠山義続の次子である上条政繁は人質として引き取られ、養子となり上条上杉氏を相続しました。景勝の妹を室として御館の乱では景勝を助けますが、その後、信濃の統治をめぐって兼続と対立し、越後を出奔しました。

 

 七尾城は織田信長によって領された後、前田利家が入りますが、山城の時代は終わり、利政の時に廃城となりました。

 

所在地 石川県七尾市古屋敷町夕部

七尾市役所 0767-53-1111

 

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―景勝が陣を敷くも無念の撤退を強いられた

 

 築城は天文23年(1545)。城主は長尾小四郎景直と伝えられています。天神山城は越中において、越後上杉方の重要な中継地点でした。天正10年(1582)に魚津城の戦いの折、上杉景勝が後詰として陣を敷いた場所です。天神山は2本の川に挟まれた台地状の独立丘陵で、山頂には大きな削平地が2ヶ所見られ、土塁や堅堀、空堀も数多くあります。 天神山は元々、松尾山と呼ばれていましたが、室町将軍足利義材が都の乱を逃れて小川寺に身を寄せました。その折に守護神である菅公像(天神様)を祀ったことから天神山と改めたと言われています。

 

所在地 魚津市小川寺字天神山(光学坊)
アクセス
北陸自動車道魚津ICより車で15分

魚津市教育委員会 0765-23-1045

 

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―悲運の城―百余の武将が自らの命と共に

 

 魚津城は松倉城の支城として室町時代に築かれました。戦国の世では、越後上杉方の越中の拠点となり、謙信は信頼を寄せていた河田長親を城主に配しました。魚津城は天正10年(1582)に北上してきた織田信長方の武将柴田勝家の率いる4万の大軍に包囲されました。武田勝頼が敗れたことで織田軍の攻撃は一斉に上杉家に向けられ、景勝と兼続は上杉家滅亡の危機にさらされます。景勝は魚津城から援軍を求められ、天神山城まで出陣しましたが、信濃や上野に駐屯している織田勢にけん制されて、春日城に戻らなければなりませんでした。これにより魚津城は孤立無援になりました。

 籠城すること数ヶ月、柴田勝家、前田利家らの攻撃を受けて、中条景泰・竹俣慶綱ら百余の城将が自害し、魚津城は落城しました。しかし、落城の前日に織田信長が本能寺の変に倒れ、この知らせを受けた柴田勝家は京に向けて退きます。明智光秀の謀反により、景勝は上杉家滅亡の窮地から救われました。

 

所在地 魚津市本町1丁目大町小学校
アクセス
北陸自動車道魚津ICより車で10分

魚津市教育委員会 0765-23-1045

 

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―兼続の叔父と言われる主水助の居館跡

 

 御館の乱で景勝側について活躍した樋口主水助の知行地は南魚沼郡湯沢町にありました。「主水屋敷」という地名はJR越後湯沢駅の近くにあり、主水助の居館跡は現在、公園になっています。公園内には、川端康成の「雪国」の有名なフレーズが刻まれた文学碑もあります。

 

 主水助は兼続の叔父にあたるのではないかと考えられていますが、樋口一族の栄光は兼続が藩の執政になってからのものです。それ以前の樋口家の系譜に関する記録は少なく、詳しいことはわかっていません。樋口氏は『兼続伝』などにより、木曽義仲の四天王の一人と呼ばれた樋口次郎兼光を祖とすると伝えられています。

 

所在地 新潟県南魚沼郡湯沢町大字湯沢字滝沢361-1
アクセス 関越自動車道湯沢ICより車で5分
JR越後湯沢駅より徒歩5分

湯沢町観光協会 0257-85-5505

 

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―荒戸城で戦死した主水助ゆかりの寺院

 

 主水大岳寺の縁起には、城平城主樋口主水守の名があります。主水守は御館の乱で景勝側について活躍した樋口主水助であるといわれています。北条氏が坂戸城に大攻勢を仕かけてきた際に、景勝は「坂戸城を死守するように」との厳命の文書を出しています。その宛名には登坂与五郎、樋口主水助、深沢刑部、栗林政頼らの名前があります。その樋口主水助は天正八年、北条氏政軍が急襲した際に荒戸城で戦死します。また、樋口主水助は樋口兼久と同一人物で、直江兼続の父、樋口兼豊と兄弟ではないかと考えられており、その説に従うと主水助は兼続の叔父にあたります。

 

 主水大岳寺は天正十六年、僧清元によって創建されました。清元は城平城主樋口主水守の甥の子にあたります。大岳寺は修験宗本山派で本尊は不動明王です。

 

所在地 新潟県南魚沼郡湯沢町湯沢熊野堂

湯沢町観光協会 0257-85-5505

 

―「雪崩」の章では兼続とお船は一緒に川舟で

 

 小説天地人の中では、兼続の母の弔問に訪れたお船の姿が描かれています。「背が高く立ち居ふるまいが美しい」人目に立つ女性。「和歌に堪能、かつ漢籍も読みこなすという聡明な女人で、――お船さまは文殊菩薩の生まれかわりか。と下々に言われたものである」。

 

 お船は与板城主直江大和守景綱の息女で、すでに直江家の婿養子、信綱の妻でした。そのお船を兼続が送っていく場面があります。六日町の船着場から小出の柳原まで川舟に乗っていきました。

 

 陸路が今のように整備されていない時代には、多量の荷物を運搬する手段として川舟が利用され、魚野川は大きな役割を担っていました。川舟で日常の生活物資等を運んでいたのです。舟運の拠点として柳原町は栄えていました。小説の中で兼続とお船たちが立ち寄ったとされる諏訪神社には、欅20本、杉44本の樹林があります。中でも樹齢300年以上の大欅は必見です。

 

所在地 新潟県魚沼市柳原
アクセス 関越自動車道「小出」IC、「堀之内」ICより車
JR上越線、只見線「小出」駅より徒歩
魚沼市観光協会 025-792-7300

 

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―大国実頼(直江兼続の弟)が相続し城主となった城

 

 永禄五年(1562)、上田長尾氏の家臣樋口兼豊の次男として生まれた与七(直江兼続の弟)は、天正十年(1582)に小国城主小国重頼の養子となり家督を相続。景勝の命により姓を大国と改めて大国実頼と名乗りました。実頼は同十四年八月の新発田重家討伐に参陣、豊臣秀吉の聚楽第新築の際には、上杉家の使者を勤めています。慶長三年(1598)の上杉氏の会津移封に従い、南会津の南山城主となりました。同六年には山形の高畑城主となり七千石を知行しました。

 

 小国城があったとされる一帯は現在長岡市おぐに森林公園となっています。小国城は標高251メートルの小城山に築かれ、平時の館は小国沢川対岸の真福寺であったと伝えられています。

 

所在地 新潟県長岡市小国町上岩田208
アクセス JR信越本線「塚山」駅より
長岡市観光課 0258-39-2221
長岡市おぐに森林公園 0258-95-2576

 

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森林浴

 

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バーベキューも楽しめます。

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