史跡ガイド

長野県

―二度にわたり徳川の大軍を蹴散らした真田昌幸の名城

 

 天正十年(1582)三月に武田氏が滅亡し、六月に信長が死去すると、真田昌幸は沼田城を奪還し旧領を回復しましたが、北条氏の新たな進行に対処するために上田城を築きます。

 

 上田城は別名を尼ヶ淵城ともいい、上田盆地の中央に位置し、周囲を千曲川とその分流・尼ヶ淵に挟まれた要害の地にあった梯郭式の平城です。天正十一年に真田昌幸によって築城されました。上田城は天正十三年と慶長五年(1600)の二度にわたり徳川の大軍の攻略を退け、実践向け城つくりに優れた昌幸の名を天下に知らしめた歴戦の城です。関が原の合戦後、昌幸・幸村父子が紀州九度山に配流になると信之が入城しますが、松代へと転封となりました。その後は仙石氏・松平氏と続き明治維新を迎えました。

 

 遺構は曲輪・土塁・石垣などが残り、現存する本丸の3棟の櫓は長野県の文化財に指定されています。

 

 現在は東虎口櫓門と袖塀が復元され、桜の美しい城跡公園となっています。

 

所在地 長野県上田市大手
アクセス 上信越自動車道「上田菅平」ICより車10分
JR長野新幹線・しなの鉄道「上田」駅より徒歩10分
上田市立博物館(上田城跡公園) 0268-22-1274
上田市商工観光部観光課 0268-22-4100

  

ueda-jou_02.jpg

  

ueda-jou_04.jpg

 

―霊験あらたかと伝えられる古い歴史を持つ本尊を祀る

 

 小説「天地人」の中で、川中島を訪れた若き樋口与六(後の直江山城守)兼続は、母の病気平癒祈願のため、善光寺に立ち寄ります。そこで武田勢の攻撃を受け、禰津のノノウ(歩き巫女)の初音に助けられました。

 

 善光寺の創建は古く飛鳥時代にまで遡るとされ、『善光寺縁起』によれば本尊の善光寺如来はインドより百済へと伝わり、仏教の伝来とともに日本へともたらされた最古の仏像だといいます。その後の廃仏論争で、廃仏派の物部氏により難波に打ち捨てられますが、信濃の本田善光が持ち帰り仏告を受けて現在の地へと安置したと伝わっています。

 

 長い間続いた川中島合戦の兵火により寺は荒れ果てました。武田信玄は秘仏善光寺如来を甲斐の府中へと持ち帰り甲府善光寺を建立、一方の上杉謙信も居多ヶ浜の浜善光寺へと宝物を移したと伝えられています。

 

 宝永四年(1707)に建立された本堂は現在国宝に指定され、大勧進・大本願と三十九の院坊があります。

 

所在地 長野県長野市元善町491
アクセス 上信越自動車道「長野」ICより車40分
JR信越本線・長野新幹線「長野」駅よりバス
善光寺 026-234-3591

 

善光寺.jpg

                                     写真提供:善光寺

―歴史に名高い第4次川中島合戦の舞台となった古戦場

 

 小説『天地人』は若き樋口与六(後の直江山城守)兼続が、弟与七とともに妻女山からこの古戦場を見下ろす場面から始まります。そこは十五年前、最も激烈を極めたという第4次川中島合戦の舞台となった場所でした。

 

 八幡原には古くから八幡神社があり、旧本殿のまわりには信玄が本陣にしたおりに築いたと伝わる、東西35メートル・南北45メートルの土塁跡が残っています。境内には謙信・信玄一騎打ちの像「三太刀七太刀之跡」の碑や首塚などがあり、近くには軍師・山本勘助の墓や武田信繁の菩提を弔ったという典厩寺があります。

 

 現在は周りに桜の木が植えられ、八幡原史跡公園として整備されています。

 

所在地 長野県長野市小島田町
アクセス 上信越自動車道「長野」ICより車7分
JR信越本線・長野新幹線「長野」駅よりバス20分
一口メモ 駐車場151台

 

八幡原.JPG

―北信濃支配の中心として歴史に翻弄された城

 

 永禄四年(1561)の第4次川中島合戦では、武田信玄が布陣した城として有名です。

 

 海津城は別名を松代城ともいい、川中島地方を支配するための布石として武田氏により築かれ、永禄三年頃にほぼ完成したとされています。

 

 信玄は善光寺平を制圧すると、寵臣・高坂弾正忠昌信を配置し北信濃を統治させました。天正十年(1582)に武田氏が滅亡すると、織田信長の家臣・森長可の居城となりますが、三ヵ月後の本能寺の変により放棄され、その後は上杉景勝の支配下に置かれます。景勝の会津移封後は幾度も城主が代わりましたが、元和八年(1622)に真田信之が松代藩の初代藩主となり幕末まで続きました。

 

 海津城は田丸直昌の時代に土塁を石塁に改修、本丸の石塁は約10メートル四方、4隅には櫓があり、西北の隅には二重櫓の天守台があったといいます。明治維新のおりにほとんどが破壊されましたが、現在は本丸正面の太鼓門・北側の北不明門などが復元されています。

 

所在地 長野県長野市松代町
アクセス 上信越自動車道「長野」ICより車10分
長野電鉄・屋代線「松代」駅より徒歩5分
真田宝物館 026-278-2801
一口メモ 駐車場 70台(無料)

 

kaidu-jou_01.JPG

 

kaidu-jou_02.JPG

―混乱の北信濃で、北条軍を睨み景勝が布陣した山

 

 天正十年(1582)に武田氏が滅亡すると、織田信長の家臣・森長可が海津城に入城し川中島地方を統治しますが、三ヵ月後の本能寺の変により城を放棄しました。これにより上杉景勝は北信濃に侵入してきた北条軍・徳川軍と競り合い悲願だった川中島地方を手中に収めました。その際に景勝が兼続を率いて陣をとったのが妻女山(赤坂山)です。妻女山は第4次川中島合戦の際に上杉謙信が布陣した山としても知られています。

 

 展望台からは松代町・千曲川・川中島一帯、遠くには北アルプス・戸隠・飯綱山などが望めます。招魂社のある山は赤坂山で、妻女山山頂は南西にさらに20分登った斎場山古墳のある512メートルの頂(私有地)で、西方には鞍骨城があり、赤坂山に布陣した景勝は鞍骨山に登り、北条軍の動きを監視したと伝えられています。

 

所在地 長野県長野市松代町清野
アクセス 上信越自動車道「長野」ICより車10分
長野電鉄「岩野」駅より徒歩15分

 

saijozan_01.jpg

 

saijozan_02.jpg

天地人スペシャル検定
天地人性格診断
ビジュアルふるさと風土記「絵本動画」
マンガ直江兼続物語
上杉家家訓十六ケ条「宝在心」
直江兼続生誕の地を訪ねて
南魚沼グルメ