史跡ガイド

富山県

―景勝が陣を敷くも無念の撤退を強いられた

 

 築城は天文23年(1545)。城主は長尾小四郎景直と伝えられています。天神山城は越中において、越後上杉方の重要な中継地点でした。天正10年(1582)に魚津城の戦いの折、上杉景勝が後詰として陣を敷いた場所です。天神山は2本の川に挟まれた台地状の独立丘陵で、山頂には大きな削平地が2ヶ所見られ、土塁や堅堀、空堀も数多くあります。 天神山は元々、松尾山と呼ばれていましたが、室町将軍足利義材が都の乱を逃れて小川寺に身を寄せました。その折に守護神である菅公像(天神様)を祀ったことから天神山と改めたと言われています。

 

所在地 魚津市小川寺字天神山(光学坊)
アクセス
北陸自動車道魚津ICより車で15分

魚津市教育委員会 0765-23-1045

 

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―悲運の城―百余の武将が自らの命と共に

 

 魚津城は松倉城の支城として室町時代に築かれました。戦国の世では、越後上杉方の越中の拠点となり、謙信は信頼を寄せていた河田長親を城主に配しました。魚津城は天正10年(1582)に北上してきた織田信長方の武将柴田勝家の率いる4万の大軍に包囲されました。武田勝頼が敗れたことで織田軍の攻撃は一斉に上杉家に向けられ、景勝と兼続は上杉家滅亡の危機にさらされます。景勝は魚津城から援軍を求められ、天神山城まで出陣しましたが、信濃や上野に駐屯している織田勢にけん制されて、春日城に戻らなければなりませんでした。これにより魚津城は孤立無援になりました。

 籠城すること数ヶ月、柴田勝家、前田利家らの攻撃を受けて、中条景泰・竹俣慶綱ら百余の城将が自害し、魚津城は落城しました。しかし、落城の前日に織田信長が本能寺の変に倒れ、この知らせを受けた柴田勝家は京に向けて退きます。明智光秀の謀反により、景勝は上杉家滅亡の窮地から救われました。

 

所在地 魚津市本町1丁目大町小学校
アクセス
北陸自動車道魚津ICより車で10分

魚津市教育委員会 0765-23-1045

 

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