史跡ガイド

群馬県

―碓氷峠を押える北条氏の守りの要、壮大な山城

 

 天正十八年(1590)三月、豊臣秀吉はついに小田原征伐の軍を起こします。春日山城を出発した上杉景勝は、途中前田利家・真田昌幸らと合流し碓氷峠を越えて上州へと入りました。北条方の守りの要であった松井田城には、大道寺政繁が二千の兵とともに立て篭もり持久戦になりましたが、四月十九日政繁は篭城を断念し城を明け渡します。このとき直江兼続は敵将である政繁のことを礼節を持って遇したといいます。

 

 松井田城は碓氷川と九十九川に挟まれた標高250~410メートルの山の尾根上に築かれた壮大な戦国時代の山城です。城域は東西約1キロ・南北1.5キロに及び、曲輪群を念入りに堀切で仕切り防備を固めています。

 

 永禄年間の初頭(1558~60)頃、安中忠政が武田氏の侵攻に備えて築城したとされています。本能寺の変後は北条氏の臣・大道寺政繁が入り、西城を造営して大改修しました。小田原攻めの落城によって廃城となりましたが、遺構はほぼ完全に残っています。

 

所在地 群馬県安中市松井田町新堀
アクセス 国道18号線沿いに登山口
JR信越本線「西松井田」駅より徒歩30分
一口メモ 登山口に駐車場あり(3台)
本丸まで徒歩30分

 

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―「表裏比興」によって手中に収めた真田氏の城

 

 天正六年(1578)御館の乱の混乱に紛れ、真田昌幸は沼田城を手に入れました。同十年三月に武田氏が滅亡し、六月に信長が本能寺の変に倒れると、北条氏は昌幸の主家・徳川家康に沼田城の譲渡を要求しました。秀吉は名胡桃城の安堵を条件に昌幸を説得しましたが、北条氏は力ずくで奪取します。昌幸は北条方の約定違反を訴え、秀吉はこれを大義名分に小田原攻めを決意しました。

 

 沼田城は天文元年(1540)に沼田顕泰によって築城された、利根川と蓮根川の合流点・70メートルの崖上に建つ崖端城です。

 

 越後と関東を結ぶ水陸交通の要衝であった沼田は、経済・軍事両面にわたり重要な拠点でした。

 

 遺構は郭跡・土塁・石垣・堀跡があり、本丸の太鼓櫓が復元されています。

 

 北条氏の滅亡後、昌幸の嫡子・信幸が入城し、5層の天守を造営するなど城の規模を拡大しました。天和元年(1681)真田氏の改易により廃城となりますが、本多氏により再建され明治維新を迎えています。

 

所在地 群馬県沼田市倉内
アクセス アクセス 関越自動車道「沼田」ICより車10分
JR上越線「沼田」駅より徒歩30分
沼田市役所(代)0278-23-2111

 

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土岐邸の正式名称は、登録有形文化財「旧土岐家住宅洋館」です。
土岐邸は、最後の沼田藩主・土岐頼知公の子孫が居住していた家屋を東京から移築したもので、沼田公園二の丸跡にあります。

 

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 御殿桜は、江戸時代からあると伝わる桜の古木です。

 

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沼田城時代の石垣と階段で、平成9~10年度の発掘調査によって発見されたものです。

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