ゆかりの地

景勝・兼続の生き方に影響を与えた謙信ゆかりの地 

 

 上杉謙信は14歳から19歳までの6年間、栃尾城を居城としていたと言われています。 

 越後守護代長尾為景の末子としてこの世に生を受けた上杉謙信(幼名・虎千代)は観音菩薩を信仰していた母の影響で慈悲深い心を培いました。

 

 栃尾には、門察和尚の教えを受けて、修行したと伝えられる瑞麟寺ゆかりの梵鐘や謙信像、謙信廟など「越後の虎」と呼ばれた上杉謙信を偲ぶ史跡があります。 

 9月中旬には謙信公祭が開催され、市民茶会や柔県道大会のほか、秋葉公園内では謙信の遺徳をしのび、読経、献茶、御焼香、献吟、剣舞の法要式典が厳かに行われます。

 

忍耐力・情報力・経済力・愛の思想のベースを培う

 

 清涼な魚野川が田畑を潤し、緑豊かな田園の風景と美しく連なる急峻な山並みは訪れる人々の心を魅了します。

 

 兼続と景勝が生を受け、ともに幼少時代を過ごした上田庄(南魚沼市・湯沢町)。

 兼続は幼少の頃から景勝の近習となり、雲洞庵で学問を学びました。

 

 南魚沼市は日本有数の豪雪地帯であり、その雪深い冬の暮らしの中で、2人は忍耐強く強靭な精神力を育んでいきました。また、北国と関東を結ぶ要衝の地でもあり、さまざまな情報と物流が行き交う中で、自然と研ぎ澄まされた情報収集力と経済のセンスを身につけていったのです。

 

 当時の武士たちは田畑を持ち、ふだんは農業に従事しており、兼続も田畑の仕事の手伝いをしたのではないかと考えられます。後年に領民である農民を慈しみ大切にするという兼続の政治の礎は、雲洞庵の北高禅師や通天和尚の教えとともに育まれ、「愛」の思想として兼続の心の中で確かなものになっていきました。

謙信と出会い「義」の薫陶を受ける

 

 兼続は天正4年(1575)に、謙信の養子となった景勝とともに春日城(上越市)で謙信の「義」の薫陶を受けました。その教えは生涯、兼続と景勝の「戦い方」と"いかに生きるのか"という思想の支えになりました。

 

 謙信死後の御館の乱に際して景勝の片腕となり、頭角を現した兼続。智恵と知識に支えられた行動力で景勝を勝利に導きます。若干21歳で上杉家第一の智謀の将の地位を不動にしました。

 

 上杉謙信ゆかりの地として、8月には謙信公祭が開催され、謙信の居城であった春日山城跡は日本百名城に挙げられています。徳川家康の六男松平忠輝によって築かれた高田城の城下町として知られ、また親鸞が配流の際に上陸した居多ヶ浜など、歴史の見どころもたくさんです。


 

兼続を生涯にわたり支え続けたお船との愛

 

 御館の乱の後、兼続は名跡直江家を継いで与板城主となりました。兼続は与板城在城中に新田開発や鉄砲産業の振興、市の開催、道路の整備など、農・工・商業全般にわたり、その発展に尽力し、手腕を発揮しました。与板の城下町としての基礎は兼続によって築かれたと言っても過言ではありません。妻のお船と兼続は仲睦まじく、兼続は側室を一人も持たなかったといいます。

 

 お船の生誕の地である与板には、良寛ゆかりの寺があり、良寛と交友のあった維馨尼や三輪佐一も与板の人です。また、伝統工芸品指定の越後与板打刃物の産地としても有名です。

直江状を送り関が原の戦いの火付け役となる
 

 豊臣秀吉から信頼の厚かった景勝と秀吉から厚遇された兼続は会津へ移封となりました。
秀吉の死後、家康からの詰問状に屈することなく、直江状を送った兼続。歴史を動かす大舞台の上でも「義」の精神は揺るぎません。


 直江状で家康は怒りを顕わにし、上杉討伐に向けて進撃します。しかし、石田三成の挙兵により、家康軍は小山から軍を返します。この場面で上杉軍が追撃していたならば、歴史が動いたかもしれないという大舞台。唯一、景勝と兼続の意見が分かれた時と言われています。追撃しようとする兼続を景勝が諌めます。上杉謙信の「義」の信条が退いていく家康を討つことを許しませんでした。 


 現在、会津若松城本丸は「鶴ヶ城博物館」となっており、城の周りは桜の美しい公園として市民に親しまれています。

米沢における苦心の国づくりは愛の精神で
 

 関が原合戦で石田方に与した景勝と兼続は、家康の命により会津から米沢に減封になります。所領は4分の1になり、厳しい藩政であったにもかかわらず、上杉家は家臣の召し放ちを行いませんでした。

 兼続は総監として、家臣団の住まいの確保から、有事に備えた町づくりまで、指揮をふるいました。治水や植林も行い、松川の上流西岸に残る長大な石堤は「直江石堤」と呼ばれ今も市民から親しまれています。武芸を奨励し、禅林寺に学問所を開くなど智勇兼備の名将にふさわしい町づくりを行いました。

 

 「義と愛」の精神を貫き、戦国の世を戦い抜いた兼続は60歳の生涯を閉じます。景勝・兼続の崇高な精神は脈々と上杉家に引き継がれ、後に上杉鷹山のような優れた人物を輩出します。

 現在、米沢城本丸跡にある上杉神社・米沢市上杉博物館には、上杉家を偲ぶ遺品や資料などが数多く収蔵、展示されています。

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